九十九里点描と旅





それほど大げさなことではないが、九十九里を旅した。
これで何度訪れたのだろう。
何もない、ただ、海、砂浜。
太平洋に面した遠浅の海岸が連綿と続いている。
これがいい。
見渡す限り遮るものがない。
荒漠たる原野に佇んでいるかのような、禍々しき不安が襲ってくるのは確かだ。
だが、何ものにも支配されない自由がそこにある。
死ぬのも生きるのも自由。
すべてを作り上げてゆく虚無からの旅路。
旅はいいものだ。

今になって気づいたが、九十九里で船を見たことがなかった。
遠浅の海だから船は航行できないらしい。
と言いつつ、港はある。
その港がすべての元凶かはわからないが、
美しい九十九里は環境の変化にみまわれている。
海岸の侵食。
砂浜がなくなってしまうのはとても悲しいことである。

人間は空を飛ぶことさえできる。
一度、その翼をもって我々が作り替えた世界をじっくり鳥瞰する必要があるように思う。



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今月の家出、千葉再び

先月も千葉にきたのに、性懲りもなくまたやってきてしまった。特別気に入っているわけではない。今回はどうしても見たいものがあった。
千葉市美術館の曾我蕭白展。
私は日本の文化を愛している。できる限り残していきたいとも思う。保守派と言えばそうである。にもかかわらず、日本の美術、とりわけ絵画には関心がなかった。絵画で好きな年代は20世紀前後から、マネから始まる変革の時代、シュルレアリスムくらいまで。挑戦的で野心的な部分が面白い。絵云々というより、カウンターカルチャー、既存のものに異を唱えるというのが好きなのだ。今の時代で何が好きか?これは困った質問。現在に対しての過去、それがカウンターかもしれない。すべてに対して回顧主義ではないが、未来よりも過去に人間の大切なモノ、未来へ繋ぐ究極の鍵があるように思う。日本の20世紀前後の画壇はどうだったのか。変革の時期であったのは確かではあるのだろうが、それは近代化以前の日本的なことから欧米的なことへのシフト、言ってしまえば模倣である。それは美術のことだけではなく、経済、文化、科学技術、すべてにおいてパラダイムシフトがおきていた。文明の黒船を受け入れ、急速に近代化はしつつも、独自性を持つにはまだまだ時がかかる。もしかしたら、今花開いているのかもしれない。世界的な芸術家というのがでてきている。私は日本の美術をなめている。現代アート、同じ時代の同じ土俵、欧米的な見方なら日本に勝ち目はない。
しかし!
島国日本には豊かに育まれた独自の文化がある。それは独特の美意識をも生み出した。さも知ったように書いてはいるがあまり知識はない。これではいけないので、日本の美術というのも知っていこうと思った次第である。そこで、まず白羽の矢をたてたのが曾我蕭白。
なぜそこ?
きっと詳しい人はそう言うだろう。たまたま現在開催中で見たいと思ったのが曾我蕭白だから仕方ない。
鑑賞。
圧倒的な力強さ、躍動感、うねり、画面から飛び出してきそうな絵や、動き出しそうな独特の様相の人物たち。当時すでに大衆から人気があり、今でも評価されている理由というのが画面から伝わってくる。比較になるかは分からないが、鳥山明のドラゴンボールのようなワクワクドキドキする要素があり、漫☆画太郎のようなバカバカしさもある。要するに漫画的な面白さが感じとれる。
この千葉市美術館の展示は曾我蕭白の作品だけでなく、同時代の画家の作品も同列に掲示し、対比ができる。異端さや優れた部分、曾我蕭白をより深く理解できる構成になっていた。
わざわざ千葉に足を運んだ甲斐がある実りある展示だった。
そんな有意義な時間を過ごしつつ、写真はあまり撮れず。大好きな風俗街を軽くスナップ。
次の日に期待しよう。










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旅先で沖縄について考える

昨日、5月15日で沖縄は本土復帰40年を迎えた。快哉を叫ぶ、ことではない。当たり前のことだ。日本の土地は日本人のものである。正確には土地、地球は人間の所有物ではないが、まあ道義的にそう言っておこう。
沖縄に残された問題。
米軍基地。
実際沖縄の人たちがいらない、出ていけというなら大変な負担なのだろう。同じ日本ではあるが本土に暮らす我々は、そんなことは露知らず安穏と過ごしてしまっている。紛れもなく日本の問題なのだ。自戒の念をこめ、ここに記しておく。
米軍基地、私の地元の所沢も無関係ではない。あるのだ。通信基地なのでかなり重要な施設。それに一昔前に激しい基地反対運動があり、撤退させた歴史がある。今では公共施設や公園に整備されているが、それも忘れられようとしている。かつては入間にジョンソン基地があり、所沢の基地と結ぶ道路を行政道路と呼び、その由来なぞ若い人は知らないだろう。かくいう私も最近になって図書館で知ったことである。お恥ずかしい。ここ所沢、現存するアメリカ米軍の横田基地も車で数十分の距離にある。そのゲートに位置する福生、普通ではない雰囲気を放ち、異質を好むものとして好きな街である。雇用や新しい文化の流入、活性化もあるのだろうが、やはり軋轢があり、衰退している地域を見ると、基地に翻弄されている姿が垣間見える。
沖縄でも同じ光景を見た。
コザ、胡屋、沖縄市。
私、実は沖縄が大好きな人間であり、トータルで数ヶ月滞在している。始めての長期旅行、一人旅の目的地、それが沖縄だった。海の美しさ、人々への敬意、好奇心、そして米軍基地がもたらした日本と沖縄とアメリカのミックスされたカルチャーの面白さ。これがその後何度も足を運ばせる要素である 。そのミックスされたカルチャーを見ると、哀愁を含みつつも人間の寛容さ、力強さを感じていた。しかし、沖縄の人たちは生きて前に進むために、そうせざるを得なかったのではないか。
もっと沖縄を知らねばならない。少しでも近づくためにまたゆこう。

ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ Check  comments(0)00:05日記

武蔵野点描



毎日新聞の夕刊にトンボがとまっていた。
この時期にトンボというのはいるのだろうか。
秋のイメージがある。
新聞を読みに来たわけではあるまい。
季節を間違えてしっまたのかい?
町中に迷いこむなんて神出鬼没すぎやしないかい?
ちょっと調べてみよう。

wikiアニキによると、
春から秋にかけて発生するとのこと。
なるほど。
今まで存在していても気づいてなかっただけのようだ。
よく目を凝らして意識してみると、結構いるんだろう。
森に行ってベンチに佇み、地面をよく見てみると、
意外と多くの虫たちが蠢いているのに気づく。
歩くだけで虫を踏んでしまうなぁ、なんて思った。
思った所で地面を踏みしだかないと帰れないのでそのままにしたが。
それと、トンボは昔「秋津」と呼ばれていたとのこと。
秋津といえば所沢の隣駅。
素晴らしき飲み屋の集まる街。
サラリーマンというお店によくいっている。
もつ家とか野島とかもいいらしい。
話戻して、トンボの群生地だったから秋津?
それは違うみたいだ。

昨日のトンボは生命をまっとうできるだろうか。
ただ祈るばかりだ。



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ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ Check  comments(0)01:43今日の一枚

多摩川点描



川と緑。
清々しい。
それに広い大地。
無条件に懐郷の念を抱く。
けれどそのような故郷はありはしない。
物心付けば、建築物が縦横に配された世界だった。
この血の記憶が、
かつて見た故郷の光景に思いを馳せているんだろう。
自由だ。
私はどこにいたって故郷を見出すことができる。
帰る場所は数多とあるのだ。
この大地が自然以外のものに埋め尽くされない限りは。



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